戦国北条 百年王国の夢

nishikitaitei2008-03-13

 NHKその時歴史が動いた』の第318回「戦国北条・百年王国の夢」を観た。
北条五代……の内の奇数代を取り上げていた。氏政は兎も角として、戦国北条家の基を固め上げた氏綱涙目・・・w(今月の歴史群像ですら取り上げていたのに・・・)
 話の流れから言えば、早雲が始めた民政第一主義を氏康が再構築。農民から容赦無く重税を取り立てる秀吉(・・・3分の2も持って行くんですってよ奥さん!)に屈する訳には行かない氏直が民衆を護らんとするため秀吉に楯突いた、と言うことだった。
・・・農民出身の割りに結構ヤな奴だよな猿は(……そう言えば信長・秀吉の領内での税率なんて考えたことも無かったな。信玄の領国も結構キツかったと聞くが。)
 小田原開城の理由も、頼りにしていた徳川・伊達に裏切られたショックに加え、一緒に篭城している領民(=城内にて保護している)の事を思っての苦渋の決断と言う説で語られていた。・・・さすが民政第一主義の北条家だ。
また、ルイス・フロイスの書簡によると、「北条方の篭城があともう少し長引いたら、さしもの秀吉方も撤退しただろう」と言う意外な事実(?)も判明。
この事実を知っていたら、何時ぞやデザインした「関八州古戦録」小田原シナリオの勝利条件を、もっと色々と考えられたのに・・・やや残念。
 さらに、関東を与えられた家康が北条の施政術を継承し徳川260年の基を築いた。とも言っていたが。確か、家康は領内の事情に詳しい北条の元家臣たちを取り立てて関東の経営をしていた筈。
・・・それらを考えると、結果的に民政に優れた北条家の遺臣達の活躍が家康を助け更には秀吉にケチを付けられ処分されるのを阻み、最終的には豊臣家を潰す原動力(関八州300万石の経済力)を生み出したと言えなくも無いな、等と思ったりした(結果論だが、北条家が豊臣家に間接的復讐を果たしたとも言えなくは無い・・・かな?)

最後のエピローグ部で、何と現代の北条家の子孫の方も登場されており、興味深くそのお顔を拝見した(狭山藩だから、あの韮山城を守り通した氏康五男氏規の家系かな?)