四国征討その2

で、翌日。明け方雨が降ったらしく、コンディション悪目なので当初の予定を切り詰め、無理せず南下しない方針に変更、で本日は5ケ所

昨日の城攻めに起因する足の痛みと、なぜか旅の数日前から襲ってた歯痛を堪え、早起きして一気に伊予(愛媛)討ち入り、仏殿(川之江)城(1)に。

『ICを降りて一般道に降りると、そこには「ぶぁぁぁぁあ」って煙突の煙が吐かれてるの。怖い!きもい!(爆)』

何でもここ川之江には製紙工場があり、ググって見たら公害やら何やらで問題になった場所らすい。

仏殿城は、暦応元年に河野通政の臣、土肥義昌が築城した。  交通の要衝であった仏殿城は幾度も攻撃の的にされ、落城している。
 天正10年、四国統一を目指す長宗我部元親は、川上安勝が守る仏殿城を攻め落城、城主安勝は自刃した。
 天正13年、豊臣秀吉の四国平定戦では、小早川隆景が攻め攻略した。 これが仏殿城最後の戦であった。 江戸時代の川之江は幕領となり、城も廃城となった。

んで、件のお城、ここは車で天守近くまでいけると言う「足腰にやさしい」城であるw
製紙工場地帯だけあって、さすがにここも海が近く眺めが中々宜しい・・・工場地帯以外はw遺構としては石垣、郭、復興天守(資料によっては模擬天守と書いているが…どっちやねん?)と言った所か。

ほんで、せっかく愛媛に来たのだからと、例の「愛媛の真面目なジュース」(笑)をのると君とコンビニで一本購入し何年振りかで口にする、そして勇躍今治城へ(2)
ここも高松城同様水城(海城)だったらしい。あの藤堂高虎か築いた城と言う話だ。復元天守と隅櫓が綺麗で、また写真の角度から写すとかなりイケテますw

3ヶ所目は湯築城道後温泉のすぐそばの城跡で公園になっていた。
元は動物園でも在ったらしいこの城跡、温泉街のど真ん中で近くには路面電車も走ってる位の場所に在り、結構遺構が破壊されてるかと思いきや、意外に外堀、内堀、土塁が結構残っていた。
また発掘調査の結果、将兵の屋敷跡に屋敷を復元したりしていて、妙に力が入っていて好ましい限りだった(3)・・・んで、その力の象徴(爆)公園内のボランティアのガイドさんに二回も捕まって、その都度説明を聞かされたので、結構時間を取られてしまったのであったw

湯築城は、建武3年に河野通盛によって築かれた。 通盛は、足利尊氏に臣従して戦功を重ねて、鎌倉時代の旧領と伊予守護としての地位を固めた。 この過程で、高縄山城から本拠を湯築城へと移した。 以後、河野総領家の代々の居城となった。

そして、今回の目玉、松山城へ。
ロープウェーに三分間揺られ、頂上へ登る。結構人が多いなぁ。

『みんな頑張って城攻めしています!まぁお客はみんな城オタ。』(←んなこたぁないw)

だが、ちょっとおかしい・・・と天守方向を見やるとなんか覆いがかけられている!?(4)

天守改修中キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━!!!!!・・・(゜Д゜)ウボァー・・・orz

改修中ですから〜!ざんね〜ん!小天守斬り!!...(´З`)チェッw
ぬう、何てこった。まあ、本丸周りの石垣を上から撮影したいと言う欲求は満たしたからいい物の(5)なんか納得いかねえなぁ・・・

んで、本日の締め括り荏原城へ。
まあ、土塁とそれを取り巻く方形の水堀のどっちかと言うと城館跡に近いかな(6)土塁上をぐるりと歩いて見る・・・が途中で土塁が狭くなっていて、水堀に落っこちないかと冷や冷やしながら周って見る(この時点で17:00過ぎてたので、少々薄ら暗いのよw)

んで、帰投しようと車に戻ると腕が何か痒い・・・あ、薮蚊やん。うわ、結構刺されちったよwまあ、のると君にムヒもらって塗ったから問題ないけどねw

・・・道後に来たからには温泉と言うわけで、尾道行く前に「道後温泉本館」で汗を流す。
ここは、建築物が古く(明治時代建築?)とても風格が在った。
入浴前、建物を眺めていて、どっかで見たことある建物だなと思ったら、例の「千と千尋の神隠し」に出てくる温泉宿にそっくりなのだわ(ひょっとして、ここがモデルだったんだろうか?)

で、尾道へ。出立19:00過ぎ、ちと遅いかな?今治へ戻る山道を抜け、島なみ街道をひた走り、宿到着は21:00近く、本日も疲れました、のると君ご苦労様。