’07年6月1日(土)TSS例会

画像はフォルダからランダムw

参加兵力:8人(内一人は顔出し後即帰還、今一人はプレイせず)

プレイ物件
ハリコフ:1941−43(6アングルス8号)
激闘マンシュタイン軍集団(GJ4号)
Defiant Russia:1941(アヴァランチ)
ドイツ装甲軍団スモレンスク(CMJ74号)
自作東部戦線ゲーム
ウォー・フォー・マザーランド(6アングルス9号)

・・・まるで示し合わせたかの様に、東部戦線ゲームばかりがプレイされていた(笑)
(デジカメを忘れたので、今回は残念ながら画像は無し)

■ハリコフ:1941-43
軍団総長氏とはるぜひ氏の対戦。午前中から午後にかけ、第三次・第四次戦シナリオと立て続けにプレイしていた模様。

■激闘マンシュタイン軍集団
同じくハリコフを終えた両人の対戦。早めに決着が付いていた様子。

■Defiant Russia:1941
はるぜひ氏お気に入りのゲーム。更にマンシュタイン〜を終えた両人が対戦(何と言うバイタリティw)

■ドイツ装甲軍団スモレンスク
Y口氏とTJ氏の対戦。Y口氏が対戦前に、スモレンスク巧者のH氏(所用に付き、顔出し後即帰還)にプレイの指針をレクチャーされていた模様。

■自作東部戦線ゲーム
TJ氏がご幼少の砌にデザインした作品らしい。手作り感溢るる手書きマップ&ユニットの作品だった。それが何故今になってプレイされるのかは謎(笑)


■ウォー・フォー・マザーランド(画像及び詳細はそのうちKMT氏のブログに載る筈w)
私とKMT氏の対戦(担当陣営も先週と同じ)先週、ルールの確認プレイを行ない今回は満を持しての本番(のつもりだったが、先週以来KMT氏がルールを再確認してないのが判明w)
独軍は南方に装甲ユニットを投入していたので南方戦線は史実以上に進撃。キエフは8月に陥落。
北方は補給ユニットの展開の関係上、序盤は殆ど進撃して来ず終盤にレニングラード周辺に取り付いていた模様。
極北戦線は、ゲームを通じて両陣営とも膠着状態(単に両者共顧みなかっただけ。と言う話もw)
中央は9月ごろにスモレンスクが陥落し、その後怒涛の攻勢でスモレンスク周辺の兵力が掃討されてしまった上、それまでの増援を北方・南方に無計画に送っていたツケが跳ね返り、モスクワの防衛兵力が殆ど0の状態。その後の増援でモスクワ−ツーラ間に薄い防衛線を展開、モスクワ陥落か?……と言うところで時間切れ。

この作品は敵ZOCからの離脱移動力が多大に掛かり(+3移動力)、鈍足なソ連の狙撃兵や機械化軍団が一度接敵されたら、後退して防衛線を展開すると言う戦術を取るのが困難なので、他のバルバロッサキャンペーンの如くに、機械化部隊は全移動力で総退却等と言う常套手段戦術が取れないのがソ連軍的にもどかしい。
また、ルールブックに書いてあったプレイの指針に則り、ヒモ付き部隊にソ連機械化軍団を使用すると言う戦術を多用した為か、その他に類を見ない役立たずさ加減(攻撃力2・防御力1・移動力5)を突かれて自爆する局面も多々見られた。

今回は午前中からプレイを開始した物の、例会終了時(約20:00時ごろ)まで掛けて第8ターンまでしか進まないと言う、想像以上にプレイに時間がかかった。だが、流石に独ソ戦の専門家がデザインしただけあって、システムの端々には「なるほど」と思わせる処理が在り、まあまあ楽しめる作品だった。