解説 

 揖斐城は、康永2年に美濃の名族土岐頼清の子揖斐頼雄によって築かれた。
揖斐氏は、頼雄−詮頼−友雄−基春−基信と続いたが、基信の子が無く、土岐宗家より光親が養子となった。
天正16年に、斎藤道三は守護土岐頼芸を大桑城に攻め、頼芸を国外に追放した。
道三は、頼芸に味方した相羽城の長屋景興を攻め滅ぼし、更に土岐一族の揖斐光親を揖斐城に攻めて落城させた。 光親は城を脱出するがその後は流浪する。 揖斐城は、この落城によって焼失し廃城となった。
(この文章は「お城の旅日記http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/」より借用させて頂きました)