関八州古戦録「天正壬午の乱」シナリオ

 5/19日のTSS例会にて漸く念願のテストプレイ。個人的にはメイン虐殺シナリオ(笑)をテストしたい所だったが、対戦相手のながわ氏が「天正壬午の乱(1582年・神流川の合戦〜若神子の対陣)」(武田遺領争奪戦)シナリオのユニット配置を始めたので、細かい特別ルール等が不備のままだが、「プレイしながら考えりゃ良いや」とばかりに強引にプレイしてみた。
(デジカメ忘れたので、以下の画像はながわ氏の提供)

 兵力は、北条(氏直・氏政共に★★★3・2・3)53ユニット、新関東管領滝川一益★★2・3・4)18ユニット、上杉(景勝★★3・3・3)30ユニット、徳川(家康★★3・4・4)主力は10ユニット、先遣隊と武田の遺臣を掻き集めて17ユニット、真田昌幸(★3・4・4)+信濃勢計2ユニット
 シナリオ開始時の設定(特別ルール)として

・北条主力と新関東管領・滝川+上野諸勢力連合が既に隣接配置させ「合戦」(神流川の戦い)を強制させる。
真田昌幸+信濃勢は当初は北条の邪魔(だけ)はしないと言う形の北条寄り中立。
・甲斐、信濃の一部は徳川勢及び、その息の掛かった武田遺臣が制圧。
・上杉勢は反北条寄り中立。
・徳川勢は家康が京から落ち延び中&上方の動向を見計らっているので、一部を除き第3ターンから行動開始とする。
・戦場を信濃・甲斐に限定したかったので、北条が相模から駿河に侵攻すると徳川軍予備10ユニットが登場する事にする。

以下ゲーム開始後に決定した特別ルール

・新関東管領勢は、合戦に確実に負ける(筈)ので→盤端から撤退した生き残った滝川勢ユニットの数により徳川方は得点を得る(賤ヶ岳合戦時に反羽柴戦線側に立つ筈なので、徳川にとっては滝川勢の温存は将来的に+になる?と言う発想で)
・北条勢は関東管領の残された城を攻める場合、包囲→降服勧告だけで落城させる事が出来る。
・北条勢は信濃・甲斐内にある無主の城に侵入しただけで自分の持ち城に出来る。
・北条勢は支配したばかりの上野・信濃国内に、各々10ユニットづつの守備隊を拘置せねばならない。
・上杉勢は、北条勢がヘクス××14以北に進入するか、或いは上記守備隊の配置条件が崩れたら参戦する(秀吉軍記で言えば毛利勢の役割)
信濃の真田・木曾は徳川方プレイヤーの任意で使用可能(秀吉軍記で言えば雑賀・根来に近い役割)

 私の想定では徳川勢圧倒的不利との見立てだったのだが。実際にプレイしてみると、意外にもバランスが良好なのに気付き驚く。
 北条は緒戦から兵力的に見ても圧倒的有利なのだが。上野→信濃→甲斐と進軍するにつれ守備隊ルール及び連絡線設定の影響で兵力が先細って行く(更に信濃国内の徳川勢や、何時裏切るか分らない真田に備える為の影響もある)のに加え、山がちの甲斐国内では大兵力が生かせなく、さらに徳川勢は機動力戦術能力では北条勢に圧倒しているので、合戦に巻き込まれない限りは互角以上に戦える事が判明。
ただし反北条勢の扱うユニットが少なく、それに比べターン数がやや冗長(17ターン)なのでプレイヤーの士気(やる気)が続くかどうかが問題だが、案に相違しての良好シナリオの誕生に大満足。

 このプレイの終了後、メイン虐殺シナリオ(笑)「富士山一見(1590年・小田原の役)」シナリオを例会終了まで4ターンほどやってみる(画像はAMI様のブログに)
兵力・上方200ユニット以上、北条方70ユニット以上(笑)
 籠城策を採っているので、第1ターンの第1ステージのみは北条方は移動不可と言う縛りを入れてみたが。徳川勢を分散させた為か、東海道を行く主隊は第4ターン目になっても山中城、足柄城、韮山城の西方防衛線を抜く事が出来なかった・・・やはり数的優勢ではあっても、それを有効に率いる人材が少なくなっているので、(特に頼りの羽柴弟君が海の上の人なので…)この方面は太閤秀吉がやってくるまで膠着気味になっていた。
 その他の戦線では、北国勢は順当に松井田城、箕輪城、国峰城を陥れつつあり、北条の軍勢の居ない下野方面は佐竹・宇都宮連合軍が北条の支城網を侵食していた。……と言うところで時間切れ。
 東海道方面の処置に若干の不安は残る物の、あまり北条方に縛りを入れるのも考え物なので、現行のままで行こうと思った。